今までに各方面から寄せられたさまざまな質問に、インタビュー形式でお答えします。
  ※意見には個人差があります。法廷画家の総意ではありません。


      法廷画家は、誰でもなれるんですか?資格とかは必要ありますか?


いいえ、資格などは一切必要ありません。法廷自体は基本的に誰でも入れますし、スケッチをするのも咎められませんので、誰でもなれるといえばなれますね。ただし、それを仕事にするにはもちろん相応の技術と、作画スピードが求められます。


      法廷画家をはじめたキッカケはなんですか?


私は地元が和歌山なのですが、2003年に汚職の疑いで捕まった元和歌山市長がいまして、地元のテレビ局がその初公判をニュース番組で報道する際に、法廷画家として呼ばれたのが最初でした。
なんでも地元テレビ局が今まで依頼してた法廷画家に頼もうとしたところ、その方がご高齢で廃業されていたそうなんです。それであわてて和歌山で絵を描く職業のプロをネットで探したところ、たまたま私をみつけたとのことでした。
急ぎでそのテレビ局に来てほしいという依頼が私にきたので行ってみると、重役室のようなところに案内され、重役の方を含め三名いらっしゃったんです。当時まだ駆け出しだった私がわけもわからず立ち尽くしていると、重役の方が、「私の似顔絵をここでかいてみてほしい。」とおっしゃいました。
ええ、いいですよ。とまあ安請け合いしたんですが、正直、それまで似顔絵を描くのは得意な方ではなく、どちらかというとデフォルメキャラクターなどを主に仕事として請け負っていたものですから、通常ですと気が重い依頼でした。
しかし、その方は眉毛ぶっとくて、黒縁めがねで、エラがとてもはっていて、なんというかすっごく特徴的だったんですね。これは似顔絵が描きやすい顔だなぁ、これなら似せれるぞ!と思い、5分くらい鉛筆を走らせて完成させました。するとその似顔絵がその場でウケまして。他の二人も「似てる似てる!」と褒めてくださいました。
そこで「実は明日の裁判で法廷画を書いてもらいたいんですが」と話を切り出されたんですよ。今思うとアレは簡単なテストだったんでしょうね。それから法廷画の仕事が数回あって、それらの絵をホームページで公開していたら、TBSの「みのもんたの朝ズバッ!」というニュース番組からお声がかかり、全国ネットで仕事をするようになって今に至ります。


      法廷で座る場所は最初から決まっているんですか?


背もたれに記者席と書かれてある席は座れないことになっています。いつもは腕章をつけた方が座られています。法廷での席取りは基本早いもの勝ちです。いい席を取れなかったときはヘコみますが、いったん廊下に出て、ドアについてる小窓をパカっとあけて被告を正面からみたりしてます。あんまり長いこと小窓を覗いてると警備員の方に「開けたらすぐ閉める!」とか言って叱られちゃいちゃいます。   


      あらかじめ、被告の顔写真を見てイメージを作っておくんですか?


はい。事前の報道で顔写真が流れされてる場合はチェックをします。ですが、報道された当時と風貌がまるで違うという被告人が少なくないのです。報道ではふっくらとした体型だった被告が、初公判では別人のようにガリガリに痩せていてびっくりしたこともありました。逆にライブドア事件の初公判のときは、ライブドア事件のH氏が仮釈放したときに痩せていたので、この痩せた姿を描くんだろうなぁと意識していましたら、初公判のときは元通りの体型になってて逆にびっくりしました(笑)


      描くのは、法廷の中で?


もちろん法廷です。ただ、僕の場合は鉛筆で書いた下絵をパソコンでスキャンしてデジタルで着色していますので、いったん持ち帰ります。ほとんどの法廷画家さんは鉛筆画に水彩や色鉛筆で着色されてるのと思うのですが、デジタルのほうが広い面積をすばやく塗れたり、メール納品できたりして便利なので、僕はそうしてます。


      裁判が始まって、どのぐらいからペンを走らせるんですか?


被告が入ってきたときからですね。被告によって全然態度が違うんです。それを見逃さないように注意してます。傍聴席のほうに視線を向けて、遺族を意識する仕草をする被告もいれば、まったく無関心の様子で入廷する被告もいます。それらの被告の様子はしっかりと観察するようにしています。


      描くとき、まずどこを見るんですか?


目ですかね。やはり目は口ほどにモノを言うと思います。殺人しても虐待しても、全然悪びれてないようにしか見えない態度をとる人間っていうのがいるんですね実際には。


      描きやすい人、描きづらい人って、ありますか?


やっぱり特徴的な顔立ちの人は書きやすいですけど、僕はなるべく極悪人だからわざと醜く描いたりとかせず、ありのままを伝えるためにありのまま描きます。ある程度の主観が入ってしまうのは仕方ないのですが、もともと法廷画はカメラ撮影の代わりになるものなので、極力抑えるようにはしています。


      被告が、反省している、反省してないって声や表情に表れるものですか?


ある程度は現れると思いますね。広島である小学生を殺害した外国人の裁判を見に行ったときは「悪魔が自分の中にはいってきてやった。だから自分に罪はない!」って身振り手振りを交えて必死に無実を訴えてました。これには反省の色が全く感じられませんでしたね。中には「娘さんを殺してしまってごめんなさい」と涙ながらに声を震わせて謝る被告もいます。もちろん演技の可能性もなくはないですが、真に迫ったものを感じます。


      裁判が進む中で、被告の表情とかは、変わって行くものなんですか?


そうですね。不利に経たされると頭を掻いたり、露骨にいやーな顔しはじめるわかりやすい被告もいます。ずーっと無表情な人もいますが、ああいうのは何を考えてるのか分らないですね。


      鉛筆で描くとかデフォルメしないとか法廷画にルールは、あるんですか?


いえ、基本的には無いと思います。ただ、傍聴席自体がなんのためにあるかというと、司法が法の下に公平に行われてるかどうかということを国民が実際に見て確認するためにあるんですね。これは「国民の知る権利」に答えてるわけなんですが、国民が毎度足を運ぶわけにはいかないし、そのために報道機関がありますよね。けどカメラ撮影が事実上禁止されている。その代わりとなるのが法廷画なので、私はなるべく主観を除いた事実を描くようにしています。それが私の中にあるルールといえばルールですね。あと、スピードが求められるので、手っ取り早くリアルに描けるツールとして、鉛筆が有効なのだと思います。


      一枚の絵を書くのにどれくらいの時間かかりますか?


僕は下絵を描いて着色するまで一時間ですね。幸い、早い方だと言われています。


      同じ法廷に他局の法廷画家の人がいた場合、ライバル心は沸きますか?


別に競ってるわけじゃないのでライバル心というのはありません。正直同業者を見てもとくに意識もしませんけど、ニ三度、隣の席になった事があるんです。あのときはなんとなく居心地の悪さを感じますね。なんでしょうあの感じ。原因不明です。


      法廷画家としての失敗談は?


特に無いですけど・・・。私はちょっと感情移入しすぎるところがあるみたいで、まるで被害者遺族のように被告に憤慨することがしばしばありまして。凄惨な事件などでは、もう、憤慨やるかたなくて、その日は帰ってから眠れなくなったことがありました。「こんなことが許されていいのか・・・」とかいろいろ考えてしまうんですね。最近では距離のとり方を経験から学んだのか、そういうことはなくなりました。


      法廷画を書く上で大変な事は?


とにかくスピードが求められるところでしょうか。あとは、法廷画になるような被告は、社会的になんらかの影響を与えて大きく報道された人物が多いですから、それらの被告が現在、どういう態度で裁かれているのか、反省している素振りはみせているのか。といったことを伝えるのは、社会的意義があると思うのです。なので、その責任を感じながら仕事はしています。


      実際の裁判ってどんな雰囲気ですか?


それはもう、陰鬱なモノですよ。私の場合、何故か残酷な事件の裁判に呼ばれることが多いですから。被害者遺族の方と、加害者が狭い部屋の中に一緒にいる・・・というのがもう、空気が非常に重いですしね。加害者が反省の色を見せてなければ最悪です。傍聴席からすすり泣きの声が聞こえたりすることも多いですし、嫌なモノですよ。ただ、軽い刑事事件ですと、たとえば下着泥棒とか、置き引きとかですと、そうなるにいたった被告の人生などが裁判で語られたりしますので、そこにドラマ性を感じて趣味で傍聴に行く方も少なくないと聞きました。傍聴マニアというか、裁判ウォッチャーとかいうそうです。僕はそういう趣味はないですけどね。


      これまで傍聴した中で印象的な事件は?


ライブドア事件のH氏の初公判のときでしょうか。50数席分の傍聴券をもとめて2002人ならんだそうです。私もその一人でした。少ない傍聴券をめぐってマスコミは人海戦術を使うんです。報道関係者ならカメラマンや音声さんもみんな並びますね。他には並び屋と呼ばれる人たちを雇って行列に並ばせます。その内の誰かがクジを当てると記者と法廷画家が入れるわけです。東京地裁の上空にヘリが3台くらい飛んでましたし、とにかくすごい賑わいでした。持ち物検査もいつもより厳しかったのが印象的です。ちなみに持ち物検査は東京地裁だけで、他の地方裁判所では通常行われていません。


      阿曽山大噴火さんについて一言。


初めてみたときは後姿だったので「変わった風貌の女性がいるなー」という印象だったのですが、くるっと振り返った時に度肝を抜かれました(笑) まさか男性だったとは!当時は腰のあたりまで長い髪を金髪(ところどころ緑や赤)にしていまして、長身で線も細く、スカートを履かれていたので後姿はどうみても女性でした。誰もヒゲもじゃの男性とは思わないと思いますよ・・。
阿曽山大噴火さんは 「裁判ウォッチャー」と呼ばれるだけあって、さまざまな事例を体験されてますし、また熱心な勉強家でもあって知識量が豊富ですから、書籍やコラムでも勉強になることが多いです。
ちなみに先日、中野区のスーパーでお見かけしました。目立ちますねー。


      印象深いエピソードなどありましたら教えてください。


これはいつも思うことなんですが、法廷内って本当に静かなんですね。厳粛な空気が流れています。不要な音を出すことを禁じられているというのももちろんあるんですが、被害者遺族の方なんかは犯人に一言二言いいたいことがあると思うんですよ。けど感情を爆発させたり、ヤジを飛ばしたりする人を今まで一人も見たことありません。個人的には不思議な感じがします。厳粛といえば国会なども厳粛な場のはずなんですが、あちらはヤジがすごいですよね。なぜこうも違うのだろうと思います。
あと、傍聴中寝てしまってイビキをかいた人が裁判長から「うるさい」と退廷を命じられたという話を聞いたことがあります。それくらい騒音には敏感なんですね。飲食とかももちろんダメです。関係ありませんが、法廷に入る格好はフォーマルじゃないとダメということは全然なくて、普段着でOKなんですが、ゲタは禁止されているそうです。歩くとカランコロンうるさいからっていうシンプルな理由からだそうですよ。


      裁判員制度についてはどう思いますか?


私は裁判員制度は基本的に賛成です。批判的な意見が目立ちますが、司法の判断はプロに任せればいいとか、国がまた国民に義務を押し付けているとか・・・。たしかに一度選ばれるとちょっとやそっとでは断れないという部分は是正する必要があると思いますが、だからと言ってこの制度自体がまるで戦前の徴兵制のような勢いで非難されるのはどうかと思います。
現在の司法の判断には問題があると思います。犯罪者に甘い。前例至上主義的で、判決にとても納得できないような例が多くみられます。実際の裁判を傍聴して、「ええ?こんなことが情状酌量になるの?」と思うようなこともありましたし、今のような「前もこういう犯罪のときはこれくらいの罪だったし」という前例至上主義では国民感情と乖離した部分が生まれると思います。そこで国民に参加してもらって民意を問う、というのはとても意義があることだと思うのです。
絶対反対と言ってる人たちには、「被告に死刑宣告なんてとてもできない!」みたいな極端なことを言ってたりしますけれども、裁判員が判決を下すわけではありませんし、そもそも適用されるのが一審だけです。まずは正確にこの制度について知ることが大事だと思いますね。もうすぐ始まって、いろいろ問題もあるでしょうけれども、新しい制度が始まって最初からうまくいくことなんて有り得ないと思うのです。問題ある部分はこれから是正していけばよいし、「殺人者の顔なんてみたくない」っていう心情はわかりますけど、国民が世の中の出来事に当事者意識をもつようになるということがこの制度の目的なわけですから、私は賛成なのです。この制度をもって従来の司法の判断に好影響がでることを願っています。(’08.5.9)



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